宇多田ヒカルはなぜR&Bでデビューしたのか

First Love

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社会現象を巻き起こした宇多田ヒカルのデビュー・アルバム『First Love』は、R&Bからの強い影響が伺える作品だ。しかしその後の彼女の作品を追っている人間であれば、宇多田ヒカルがR&Bアーティストだと思っている人間はほとんどいないだろう。

なぜ『First Love』がああいった作品になったのかについては、当時の音楽状況がまず挙げられる。
98年にMISIAが大ブレイクし、ディーバと呼ばれる女性R&B歌手が次々に登場してきた。その系統の歌手を世に送り出したいというレコード会社の思惑から、宇多田ヒカルもデビューすることになった。
では当時の彼女の音楽嗜好はどのようなものだったのか。その一端が伺えるインタビューを引用する。

(あなたにとってのアイドルという質問に対して)「いない。うーん、ない。ボン・ジョヴィとかぐらい。ボン・ジョヴィとクイーンのフレディー・マーキュリー」
「私、アリーヤの『エイジ・エイント・ナッシング・バット・ア・ナンバー』、あれ聴いて突然ブラック系にいった。それまでがボン・ジョヴィだったもん。あと、エイス・オブ・ベイスとか。」
「小学校6年の時に友達とオーストラリア行ったんだ。その子がずっとジャネット・ジャクソンTLCアリーヤかけてて、それで好きになっちゃった。」

(※すべてJAMSiS 1999 VOL.01より。インタビュアーは松尾潔。)

ジャネットはいうまでもないが、TLCは日本でもヒットしたし、アメリカではさらに何倍もすごい人気だった。アリーヤは日本ではそれほどブレイクしなかったものの、アメリカでは大ヒットした。
また当時のアリーヤはアーティストというよりは、R・ケリーがプロデュースしたアイドル的な黒人歌手だったといってもいいだろう。わずか15歳でデビューした点は宇多田とも共通する。

上記のアーティスト達は、コアな黒人音楽ファンが聴くタイプのアーティストではない。当時日本の普通の女子中高生が全国的に聴いていたとまではいえないまでも、アメリカに在住していた経験もあり、インターナショナルスクールに通っていた15歳の女の子にとってはごく普通の選択だったのだろう。

『First Love』では河野圭西平彰、村山晋一郎といった人達がアレンジを手掛けており、いずれもブラックミュージック専門のアレンジャーとはいえない(村山晋一郎はブラックミュージック色の強い作品を多数手掛けているが)。レコード会社の方針のもと、R&Bの匂いを感じる音色でありながら、当時のJ-POPの枠内にしっかりと収まるサウンドプロダクションが選択されている。

その後の宇多田ヒカルの歩みをみてみると、セカンド・アルバムの『Distance』までは、R&Bの雰囲気が感じられるものの、サード・アルバム『DEEP RIVER』からはほぼ一掃されている。アメリカ進出をはさみ、その後に発表された4枚目、5枚目のアルバムに関しては、宇多田が自らプログラミングまで手掛け、ジャンル分けを拒絶するような独自のサウンドが展開されている。
この時期のインタビューでは以下のように述べられている。

「音楽的ルーツってあんまないんですよね。いろいろありすぎてルーツって言えないんですよ。(中略)だから、ほんとめちゃくちゃ過ぎて、ルーツ的なものってほんとないんです。支離滅裂ですよ。
(中略)ママ以外の日本の音楽って言われると、ちゃんと買って聴いていたものっていうのはないですね。
(中略)今まで最も聴いたアーティストのアルバム?えー、わかんないっす(苦笑)アルバムっていうより“曲”を好きになるから。好きな曲をくり返し聴いちゃうタイプ。曲が好きだから、それつくった人がどうだとかどんな生き方をしているかとかそういうの、まったく気にならないんですよね。作品つくることが仕事だから、作品以外のことなんてどうでもいいもん。たぶん、いい作品をつくる人って、普通ではないので(笑)だからこそ作品をつくってるんだろうし。作品以外のそのへんまでを見たいとはまったく思わない。
なので私もミュージシャンとしてこうなりたいってないんですよ。理想の音楽とか理想の曲像っていうのはもちろんあるけど、アーティスト像って全然わかないですね。10年たった今でもまったくできない。」

(※CDデータ 2008年4月号より)

宇多田さんはよく「何かの特定のジャンルではない音楽を作りたい」って言うじゃないですか。でもそれって一番難しいじゃないですか。
「お手本がないですからね」
中略「要するに、めちゃくちゃロックなスネアとか、すごいヒップホップなベースとか、『これは◯◯ジャンルだなっていうのが出てる音色が嫌いなんだなって思って。(中略)アレンジャーの人が『これどう?』って言ってくるようなやつって、けっこうジャンルものっぽいんですよ。すんごいR&Bっぽい音とか。で、そういうのがヤなんだなって、だんだん気づいてきて。』

(※ロッキング・オン・ジャパン 2008年5月号)

こういった発言を読むと、宇多田はジャンルはおろか特定のアーティストにさえに熱中することが無く、自分の作品製作に関してジャンル分けされるような作品は作りたくないし、カテゴライズされたくないというかなり強い意思を感じる。

『First Love』は当時の日本の音楽状況が生み出した作品だと言えるだろうし、少し時代が違えば、あの作品が生まれることはなかっただろう。1999年という時代が偶然生み出した奇跡の1枚なのかもしれない。天才が作り出す傑作というのは、常に時代から逃れられないものなのだと思う。